優良病院に就職。でも現実は…

東京での学生生活を終え、私が選んだ就職先は地元長野の総合病院でした。

民間病院ながら3次救急受け入れやヘリポートも完備しており、漠然と急性期看護に憧れていた自分にピッタリだったからです。実家や祖父母の家が近いことも魅力でした。

当時は全員ピンピンしていたものの、そろそろ誰か倒れてもいいんじゃないか?

そうなったら私(看護師!)の腕の見せ所ではないか!と、新人らしいやや前のめりのヤル気に満ちた初めての職場でした。

就職してみると、その病院のアクティブさ、とりわけ院長、事務局長のモチベーションの高さと情熱に牽引された病院全体の活気に驚かされました。

絶対に断らない救急外来、全国でも先駆け最先端の医療の提供を始め、院長らに感化された院内スタッフはみな礼儀正しく、病院全体が一丸となって一つの方向を目指している力強さを感じました。

そんな初めての職場では、看護師としての仕事はもちろん、いろんな刺激をたくさん受け、日々成長の毎日でした。

「この病院にしてよかった!」心からそう思い、スタッフであることに誇りを感じていました。

しかし、ある時気付いたのです。

「あれ?お金、足りない?」

もともと多いとは言えない給料でしたが、夜勤の少ない一般病棟に異動になってから、なんと20万を切るようになってしまったのです。家族の看病どころか、相変わらずピンピンした祖父母の元に食事をもらいに行く日々。

「病院にいかに勢いがあっても、これじゃぁイカンのではないか。看護云々の前に、私の生活がままならないではないか!」

当然のことながら病院の職員は減りはじめ、有休はおろか規定の休みももらえないほど多忙になりました。

相変わらずの規模拡大を続ける病院と、いっこうに元気の出ない自分の給与明細。

その二つを見比べると、研修のたびに聞く院長の「理想の病院をみんなで作ろう!」にも心動かされなくなりました。

院長の理念も周りの先輩方も大好きでしたが、結局は「理想の病院より、自分の人生だ!」

そう思い、折しも急性期医療への興味がより増していたこともあり、東京の救急指定病院への転職を決意しました。

ここで遠慮してしまったら人生を棒に振ってしまう

給与面の不満から転職を漠然と決意しましたが、行動に移すまでには少し時間がかかりました。

何が何でもその時に辞めないといけない事情はありませんでしたし、そうでなくとも人が足りず、休日も返上で働いているお世話になった方々を差し置いて、自分だけさっさと辞めるのはとても気が引けたのです。

しかし生活は苦しく、病院は拡張を続け、院長の口から出るのは景気のいい補助金話と夢の病院像の話ばかり。

最終的には「辞めてやる!」という勢いより、「もう我慢しなくていいか~」という気持ちでした。

6月のボーナスを貰って辞めたいと思っていたので、師長に伝えたのは少し余裕をもって1月でした。

退職を考えた一番の理由は給与面でしたが、ちょうど、もっとしっかり急性期医療の勉強をしたいと思っていたところだったので、師長にはそちらの理由を主に伝えました。

給与面の話では正直な気持ちが伝えずらい上に、新卒採用だったため他病院との比較ができず、言いくるめられてしまうと思ったからです。

最初の話し合いが勝負だと思っていました。

周囲には何度も繰り返し退職を掛け合っている先輩もいましたが、退職の話を何度も持ち出すのは嫌でしたし、一度見送ることを許してしまってその程度の決意だと思われたら、ますます辞めさせてもらえなくなる、と思ったからです。

「来年6月に辞めたいです。東京で救命救急に携わりたいと思っています。」そう伝えると師長は驚いていましたが、比較的すんなり意見を聞いてくれました。

さらに溜まっていた有給休暇のことも相談すると、退職を希望より半月延期することを条件に、2週間分まとめてもらうことができました。

相当な覚悟で退職を切り出しましたが、思っていたよりはずっと好条件で、円満に退職することができました。

中にはあまり良くない顔をする先輩もいましたが、どうせ去る身ですし、「これは私の人生だ!」と思うと、退職も有給休暇も当然の権利だと自信を持つことができました。

結局、転職後は東京の急性期病院で働いています。給料が大幅にアップしたわけではありませんが、仕事の大変さと給料のバランスが取れた職場なので、とても満足しています。

周囲や病院に遠慮していては、一生、満足いく職場環境は手に入りません。何を捨てて、何を取るのか。

自分に自信をもって行動に移すことが大事だと感じました。