私が生後2ケ月の赤ん坊の頃から、私の母は看護師として働いていました。家は、祖父・祖母・曾祖母のいる4世代が一つ屋根の下に暮らしていました。
父は、公務員で9時~5時の仕事。母は、3交代の病棟勤務なのである時は朝いなかったり、夜いなかったりという状況でした。

まだ私がオムツをつけていたであろう頃、準夜勤(16時~12時の勤務)に出かける母を追って、玄関で大泣きした記憶が今でも残っています。小学校から帰り、「ただいま」と言えば、曾祖母が「おかえり」と言ってくれました。

5時過ぎると、父が帰ってきます。しばらく父と一緒にテレビを見て過ごし、6時半頃に仕事と買い物を終えた母がやっと帰ってきます。母が帰ってくるのが、とても嬉しかったのを覚えています。

母が深夜勤務の時は、夕飯の片付け後、早めの入浴をし、せいぜいたった3時間弱の仮眠をとって仕事に行っていました。そのような生活を20年程繰り返していました。

私も21歳の時、看護師として働き始めましたが、母のような仕事と家庭の両立は絶対に無理だとすぐに思いました。昔は今のように核家族は少なく、殆どが親と同居でしたので、確かに子どもの面倒はある程度見てくれます。

仕事を終えてクタクタに疲れて帰ってから、さらに家族(多いときで8人分)の食事を作り、仮眠をとって深夜仕事をこなすなど、私には到底まねできない生き方だと感じました。

今は、核家族が多くなっていますので、近所に親や親戚又は24時間体制の託児施設がなければ、病棟勤務をこなすのは難しいでしょう。確かに夜勤をすれば手当てが大きいので経済的には潤いますが、体力的にかなりの負担がかかることと思います。

母は、きっとストレスがたまっっていたのだと思いますが、夕飯を作る時はいつも怒っていました。なので、「料理を作るのは大変でつまらないこと」という思い込みが私の中にありました。

ですが、実際に私も働いて初めて気づきました。

何故、5時に帰る父は母の家事を手伝わなかったのか。そして子どもも、何故、母を手伝わなかったのかと。今ですらようやく「イクメン」と言われ、男性も台所に立つ時代になってきましたが、当事は働いていた女性が家事をこなすのは殆どの家庭で当たり前のことだったように思います。

母も私たちにお手伝いしなさいとは、なにも言いませんでした。教えられなければ子どもはわかりませんから、ただ、父と一緒に母の帰りを待ち、今思えば母に申し訳ないことをしたと思っています。

繰り返しになりますが、自分が大人になり働いて初めて親の大変さに気づきました。その様な母を尊敬し、感謝する一方で、私は母とは親子といえども違う人間なので、同じような生き方はできないし、したくないとも思っていました。

それは、子どもの頃、母がいないことの多い家庭に育った寂しさの記憶があるからでした。

私は、小学校6年位まで母のいない夜は、声を押し殺して一人布団の中で泣いていたことがありました。母がいない時は、心の中が何か埋められない穴が開いているようでした。

いつも忙しく疲れた顔で働いている親を見ていると、どこか親に甘えきれず大人になったところもあり、20代後半で精神的に病んで過ごしたことがあったのですが、自分の中でアダルトチルドレン的な要素が関係したのかなと思っています。

しっかりしている子どもと言われていましたが、どこか無理をしていたのだろうと思います。それも、今は克服しましたが、少なからず親が忙しすぎると子どもに目を向ける時間も少なくなるのでなんらかの影響が子どもにでると実体験で感じています。

その子その子それぞれ個性もあり、環境も経験も何一つ無駄なものはないとは思いますが、自分がつらかった経験はやはり子どもにはさせてくないと思うもので、私も例外なくそう感じています。

「働いてお給料はたくさん稼ぎたい、でも、子どもにとってはどうなの?」そのような思いを常に自問自答しながら働き方はこれからも模索していくのだろうと思います。

そういえば、看護師になりたいと親に話した高校生の時「大変だから…。夜勤のない仕事がいいんじゃないか」と父は言っていました。

母は、自分と同じ道を歩もうとする娘に少なからず誇らしさを抱いているように見えました。